【話題】 日航機123便墜落事件に米軍の影? 【お盆】

お盆といえば、日本航空123便墜落事件ですね。
どうやら、単なる陰謀論で終わらせるワケにはいかなそうですね~ 風化させるには惜しい案件です。



どうでしょう? 僕にはちゃんと 『オレンジエア!』 
・・・って言っているように聞こえます。 (動画23分10秒以降)

「ボディギア」とは聞こえませんね?
これが別の言葉に聞こえるでしょうか? 
だとしたら耳の病気の疑いがあります・・・病院行って、どうぞ。

続きを読む・・・ ↓ ↓




何故か、オレンジエアの話になると、ネトウヨが湧いてきて、発狂するんです。
お盆の風物詩なので、無視してください(笑)

どうでしょう? 僕は、ただの事故だと言い張る人よりも、
(軍事的な)事件性を疑っている人達の方が、合理的に説明できているように感じます。

自衛隊ではなく、米軍の戦闘機説が有力ですかね? 

ミサイルが尾翼に突き刺さったままだった?

僕自身、航空機製造の仕事に関わっていた時期があるので、この件に関しては、大いに疑っています。

機長が、衝突音と同時に発したのが、 「スコーク77」 

「スコーク77」 は、民間機が何かに要撃の対象とされた場合の緊急コール

元自衛隊員だった機長は、すぐさま、これが外部からの衝撃だと理解したと思われる。

自衛隊は・・・いや、米軍は、乗客を抹殺するつもりだったのでしょうか?
誤算は、生き残りがいた事・・・ その証言で、気圧低下や気温低下は無かったことがわかる。
つまり、機体に穴は空いておらず、破損したのは外部からだった可能性が浮上した。

「オレンジエア」 は、自衛隊が、訓練で飛ばす 『標的機』 の事。



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1985年(昭和60年)8月12日月曜日18時56分に、東京(羽田)発大阪(伊丹)行同社定期123便
ボーイング747が、群馬県多野郡上野村の高天原山の尾根(通称「御巣鷹の尾根」)に墜落した航空事故である。

今だからこそ、分かる事もあります。 様々な疑惑があった、日航機123便墜落事件。
そう、事件が起きたのも、墜落したのも・・・ 横田空域が関係してるのは事実。

すぐ近くに、横田基地があったのに、着陸を拒否された疑いが濃厚。

さらに、墜落場所が早期に確認されたにもかかわらず、
人命救助措置がまったく取られなかった。

横田空域に関しては、説明は不要かと思われますが、知らない人は自分で調べてね?





日航ジャンボ機墜落させたオレンジエアの正体

植草一秀の『知られざる真実』 第1818号 2017/08/12
http://foomii.com/00050/2017081221410140571

1985年8月12日、羽田空港18時00分発大阪伊丹空港行き日本航空123便が18時56分に、群馬県多野郡上野村の高天原山の尾根(通称「御巣鷹の尾根」)に墜落した。

乗員乗客524名のうち520名が死亡した。生存者(負傷者)は4名だった。夕刻の便であり、お盆の帰省ラッシュとも重なっていた。死者数は、墜落事故および単独機の航空事故で世界最多となった。

1987年6月19日に航空事故調査委員会は、同機が1978年6月2日に伊丹空港で起こしたしりもち着陸事故後のボーイング社修理が不適切であったために圧力隔壁が破損したことが事故原因であるとの報告書を公表した

これによって公式な原因調査は終了しているが、この問題を追求すると、まったく異なる真実が見えてくる。「知られざる真実」である。

2001年9月11日の米国における「同時多発テロ」についても、極めて重大な疑惑が浮上しているが、いずれも正式な再調査が行われていない。

日航ジャンボ123便は8月12日18時12分に羽田を離陸した。離陸後順調に飛行を続け、18時24分には大島上空を通過し、相模湾上空に差し掛かっていた。

このとき、大きな衝撃音がして機体に異常が発生した。このときの模様を123便の生存者で日本航空CAを務めていた落合由美氏が次のように証言している。

「そろそろ水平飛行に移るかなというとき、「パ-ン」という、かなり大きい音がしました。テレビ・ドラマなどでピストルを撃ったときに響くような音です。「バーン」ではなくて、高めの「パーン」です。急減圧がなくても、耳を押さえたくなるような、すごく響く音。前ぶれのような異常は、まったく何も感じませんでした。」

「「パーン」という音と同時に、白い霧のようなものが出ました。かなり濃くて、前の方が、うっすらとしか見えないほどです。」

「その霧のようなものは、数秒で消えました。酸素マスクをして、ぱっと見たときには、もうありませんでした。白い霧が流れるような空気の流れは感じませんでした。すっと消えた、という感じだったのです。」

「このときも、荷物などが飛ぶということもなく、機体の揺れはほとんど感じませんでした。しかし、何が起きたのだろうと、私は酸素マスクをしながら、きょろきょろあたりを見まわしていました。

あとになって、8月14日に公表されたいわゆる『落合証言』では、客室乗務員席下のベントホール(気圧調節孔)が開いた、とありますが、私の座席からはベントホールは見えない位置にあります。ですから、開いたのかどうか、私は確認できませんでした。」

18時24分に衝撃があり、機体に異常が発生して、結局、18時56分、123便は群馬県多野郡上野村の高天原山の尾根(通称「御巣鷹の尾根」)に墜落した。

捜索隊が墜落現場を確認したのは、墜落から10時間が経過した13日午前8時半ころとされている。救難活動が遅れて、乗員乗客524名のうち、520名が死亡したとされている。

上記落合氏の証言によると、

「墜落の直後に、「はあはあ」という荒い息遣いが聞こえました。ひとりではなく、何人もの息遣いです。そこらじゅうから聞こえてきました。まわりの全体からです。「おかあさーん」と呼ぶ男の子の声もしました。」という状況であった。

つまり、多数の乗員、乗客が生存していたのである。当初は、現場の発見が遅れ、救難活動が翌朝8時半以降にずれ込んだことが犠牲者を多くした原因と考えられたが、その後に衝撃の事実が明らかになった。

また、18時24分に大きな衝撃音が発生した直後にコックピットから発せられた言葉が重大な真相を示唆していることも明らかになっている。その言葉とは「オレンジエア」である。

自衛隊では軍事演習用の機器は、オレンジ色に塗ってある。「ファイア・ビー」、「チャカ2」、「SSM-1」のいずれかが、123便に接触して、123便の尾翼が喪われた疑いがある。

123便に乗り合わせた小川哲氏が機内から撮影した写真に謎の飛行物体が映されており、コックピットはこの飛行物体を視認していた可能性がある。

日航ジャンボ機はミサイルによって尾翼を失い、調布に緊急着陸しようとしたが、事実関係の発覚を回避するために着陸が阻止され、群馬県山腹に誘導された疑いがある。

米軍は墜落直後に墜落地点を確認したが、迅速な救援活動を行わなかった。32年の年月が経過しているが、真相は明らかにされていない。迷宮に送り込まず、真相を解明しなければならない。

墜落した日航ジャンボ機123便のコックピットは、衝撃音発生直後に、スコーク77を宣言し、「オレンジエア」と発声したのだと見られる。

「日本航空123便墜落事故を検証する」

http://www.link-21.com/JAL123/024.html によれば、

「「スコーク77」は、民間機が何かに要撃の対象とされた場合の緊急コールで、発信した民間航空機は、自衛隊機の指示・誘導に従うよう定められています。

123便は、衝突音のあと7秒後にスコーク77の識別コードを送信しています。しかし、東京管制が123便の緊急事態の宣言を受けたのは、衝撃音の2分29秒後。東京管制の二次レーダーに123便が緊急事態であることを示す信号がついたのはここからです。

また、そのあとに、東京管制はどのような緊急事態か123便に聞いていますが、123便は応答していません。これは、スコーク77の発信で、自衛隊機の指揮下に入っているために、答えられなかったのです。」

ボイスレコーダー音声を確認すると、管制からどのような緊急事態であるかの説明を求められても、コックピットが応答していないことが分かる。

123便の乗客であった小川哲氏が機内から飛行物体を撮影したのは123便の近くに謎の飛行物体が飛行していたからであるが、同じ飛行物体をコックピットも確認しており、衝撃があった瞬間に、この飛行物体が123便に衝突したと判断し、直ちに「スコーク77」が宣言されたのだと推察される。

沖縄嘉手納基地から横田基地に帰投中の米軍C-130輸送機は、123便墜落の約20分後に、横田基地からJAL123便の探索命令を受けて一帯を捜索した。

その結果、墜落の約30分後である18時30分前に、JAL123便墜落現場の上空600メートルで旋回飛行をし、横田基地からの位置を測定して正確な墜落地点を横田基地に知らせている。

この報告を受けて、米軍横田基地はC-130機に救難チームを乗せたヘリを現場に向かわせた。

午後8時50分、C-130機が米軍救援ヘリの到着を確認。

午後9時05分、米軍救援ヘリがC-130機に、煙があり着陸できないため乗員2人を降下させると通告。

C-130機は横田基地に状況を報告した。

ところが、午後9時06分、横田基地はC-130機と米軍ヘリに帰還命令を発令した。米軍ヘリは救助活動続行を申し出たが、「日本の救助隊が向かっている」との理由で帰還を命じられたのである

午後9時20分、日本機(F4)が事故現場上空に到着し、午後9時22分、C-130機は航空機が日本の救助隊であることを横田基地に確認した後に現場を離脱した。


ところが、自衛隊が救難活動を開始したのは墜落から13時間が経過した13日午前8時半だった。


ここに決定的な疑惑が存在する。空白の11時間こそ、疑惑の核心である。

推察されるストーリーは、自衛隊によるミサイル誤射でジャンボ機が損傷し、調布への着陸が阻止され、群馬県山中に誘導されてしまったというものだ。そして、現場確認後、人命救助よりも、証拠品隠滅が優先されたというものである。

生存者である落合由美氏の証言は、圧力隔壁が破損して機体に大きな穴が空いた事故ではないことを裏付けている。また、ボイスレコーダーの音声がくぐもっていないことから、クルーは酸素マスクを装着していないと見られ、この点からも機体に穴が開き、急減圧が生じたのではないと推察される。

フジテレビが2000年に放映した

「ザ・ノンフィクション」

https://www.youtube.com/watch?v=7poQ8oyuBQM

の22分35秒以降の部分で、ボイスレコーダーの

「スコーク77」および「オレンジエア」の発声を確認できる。

この番組は、「オレンジエア」を「ボディギア」であると結論付けているが、聴き取れる音声とはまったく違う。音声は、「ボディギア」ではなく「オレンジエア」である。

「オレンジエア」は航空自衛隊演習用兵器の呼称であると考えられ、日航ジャンボ機123便は、「オレンジエア」によって尾翼の大半を喪失。操縦不能に陥り、最後は山中に墜落したのだと推察される。

自衛隊は事実を隠蔽するため、破損部分の回収を優先した。自衛隊は墜落地点の誤発表を繰り返し、救難活動を意図的に遅らせた。また、生存者が存在しないように誘導しようとした。こうした疑惑が払拭されていない。

自衛隊関係者を含めて、当時の真実を知る者が証言することにより、真実が明らかになるだろう。
事故から32年の月日が経過したが、真実が明らかにされなければ、犠牲になられた方々の御霊は浮かばれない。

真実を明らかにする手がかりは、十分すぎるほど揃っているにもかかわらず、その真実を明らかにしようとする動きが拡大しないのは、何か大きな力が働いているからだとしか考えられない。


http://foomii.com/00050/2017081221410140571





日航元機関士による指摘と推測:
日航機123便墜落事件は米軍の誤射が原因か

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日航元機関士による指摘と推測:

日航機123便墜落事件は米軍の誤射が原因か

当ブログで、8月14日に紹介した、植草一秀氏の8月12日の記事(https://ameblo.jp/masaminarita/entry-12301298869.html)に対して、元日航機関士の方から、事実誤認の指摘と、事件原因の推測が寄せられたそうです。以下、こちらも転載して紹介させていただきます:

日航ジャンボ機123便墜落の黒い霧

植草一秀の『知られざる真実』 第1820号 2017/08/15

http://foomii.com/00050/2017081500242540604

35年前の日航ジャンボ機墜落事件については、多くの関係者などが強い疑問を持ち、さまざまな真相究明の努力を注がれてきた。しかし、本格的な事故調査は、実は行われていない。

事故=事件が発生したのは1985年8月12日。羽田空港1800発大阪伊丹空港行き日本航空123便が18時56分に、群馬県多野郡上野村の高天原山の尾根(通称「御巣鷹の尾根」)に墜落した。

事故から2年後の1987年6月19日に航空事故調査委員会が、同機が1978年6月2日に伊丹空港で起こしたしりもち着陸事故後のボーイング社修理が不適切であったために圧力隔壁が破損したことが事故原因であるとの報告書を公表して、蓋を閉じられたままになっている。

しかし、圧力隔壁が破損したのなら、機内与圧が急激に低下し、白い水蒸気のような気体が充満するはずであるが、生存者の落合由美氏は、「白い霧のようなものは、数秒で消えました。酸素マスクをして、ぱっと見たときには、もうありませんでした。」と証言しており、圧力隔壁破損の他の航空機事故の状況とは明確に異なっている。

また、圧力隔壁が破損して機体に穴が開いたのなら、機内の気圧が急低下して、ほとんどの乗客、荷物が機体の外に吸い出されたはずである。実際には、外部から何らかの衝撃が加えられて尾翼が破損し、機体の操縦が不能になったのだと考えられる。

当時の日航DC10機に乗務されていた機関士の方から連絡があり、その方の推察内容を教えていだいた。また、私が8月12日付記事に記述した内容に、一部誤りがあったので、この点も訂正させていただく。

日航ジャンボ機123便が操縦不能に陥り、緊急着陸を試みようとした空港は調布ではなく、米軍横田基地である。横田基地に緊急着陸していれば、すべての乗客の生命が守られた可能性が高い。

しかし、同機は横田基地への着陸を阻止されて、群馬県山中に誘導された。そして、御巣鷹山山中に胴体着陸を試みたのだと推察される。

問題は、墜落場所が早期に確認されたにもかかわらず、人命救助措置がまったく取られなかったことである

「123便」に乗務したグループに所属していた元日航客室乗務員、青山透子さんの著書『日航123便 あの日の記憶 天空の星たちへ』(マガジンランド、2010年4月刊)https://goo.gl/FmG2dFが注目する1995年8月27日付「星条旗新聞」=” Stars and Stripes”の、事故当時に横田基地に配属されていた米空軍の輸送機U130のパイロット、マイケル・アントヌッチ中尉の証言がある。

この証言を米田憲司氏の著書『御巣鷹の謎を追う』(宝島SUGOI文庫)https://goo.gl/uuwsktから紹介する。

「当機は、陽が長くなった夏の夕日が沈みかけていたころ、機首を北北西に進路を取った。午後7時15分、航空機関士が1万フィート付近で雲の下に煙のようなものが見えるのを発見したので、ゆっくり左に旋回し、そちらへ方向を向けた。

御巣鷹山の周辺はとても起伏が多かった。地表からおよそ2000フィートまで降下する許可を得た。墜落機残骸を発見したのは、あたりはだんだんと暗くなり始めていた時だった。山の斜面は大規模な森林火災となり、黒煙が上がり、空を覆っていた。時刻は7時20分だった。

当機の指揮官、ジョン・グリフィンは、墜落機残骸の上空2000フィートで旋回していた。私は地上との高度をモニターし、横田までの位置関係を確認した。事故現場から横田までの緯度、経度、方向と距離を連絡した。

墜落後、およそ20分で当局は墜落機残骸の位置をつかんでいたのだ。横田管制から、我々の現在地から約40マイルの厚木基地から、米海兵隊が救難に向かう準備をしてることを聞いた。1時間で到着できただろう。」

「当機は8時30分まで先回を続けた。そのとき、海兵隊のヘリコプターが救助に向かっているので方向を知りたがっている、といわれたので、墜落現場までの方位を教え、当機のレーダーで地上から空中までを探してみた。8時50分までに救援ヘリのライトを視認できた。ヘリは偵察のため降下中だった。

午後9時5分に、煙と炎がひどくてとても着陸できないと海兵隊が連絡してきた。われわれに、司令部に連絡してくれと頼んできた。私が司令部に連絡を取った。

将校は「直ちに基地へ帰還せよ」「日本側が向かっている」といったので「司令部、海兵隊は救助続行をきぼうしている」といったが、「繰り返す。即刻、基地に帰還せよ。海兵隊も同様」と命令された。私は「了解。基地に帰還する」と応答した。」

C130は午後9時20分に、最初の日本の飛行機が現れたのを確認して現場を引き揚げた。

ジャンボ機の墜落現場は米軍機によって墜落して20分後には確認されていた。そして、墜落から2時間後には米軍救援ヘリが現場に到着している。ところが、最初の日本のヘリコプターが現場にやっと到着したのは、翌日の午前4時40分。

午前7時15分になって日本の捜索隊は、自衛隊のレンジャー部隊をヘリコプターで吊り下ろすことを決断した。米軍ヘリコプターによる救援活動が許可されなかった時点から11時間もたっていた

情報を寄せてくださった元日航機関士の方は、当初の一連の動きから、「米軍の戦闘機説」をとっているとのことだ。

米軍演習の標的機または自衛隊の標的機、ある地対空ミサイルなどの誤射により日航ジャンボ機の尾翼が破損し、ジャンボ機が操縦不能に陥った。

ジャンボ機は横田基地に着陸しようとしたが、真相発覚を阻止する目的で同機は横田基地に着陸できず、群馬県山中に誘導されて墜落した。

現場は墜落から20分後に確認されたが、翌朝7時まで救援活動が行われなかった

確定できていない部分が残るが、全体像はこれに近いのではないか。闇に葬らずに真相を解明する必要がある。

上記の日航元機関士は次の事実を指摘される。


1.墜落事件の原因は大阪でのしりもちをついた時のボーイング社の整備技術陣による胴体後部の隔壁の修理ミスにされた。

2.このことが発表される前に、ボーイング社の技術陣が来日し、日本航空の手の整備陣を総動員し、墜落現場でまだ遺体収容中でありながら隔壁を集めて、いち早く海上保安庁の格納庫に並べて修理ミスを発表した。

3.通常、航空機メーカーは自分たちの不利になるすべての事柄に対して、自ら自分たちのミスであると発表することはないが、ボーイング社は率先して事故原因が自社にあるとして、遺族補償まですると発表した。

4.垂直尾翼が相模湾で発見され、相模湾の海底の捜索が行なわれようとしたが、米軍が反対してできなかった

5.海底の捜索を米軍が妨害したのは、ミサイルの機体後部に装備されているAPU(補助電源装置=Auxiliary Power Unit)が回収されることを恐れたためである。


として、米軍によるミサイル誤射がジャンボ機墜落の原因であると推察される。

自衛隊による誤射にしろ、米軍による誤射にしろ、ジャンボ機自体の故障、トラブルによる墜落とはまったく事実関係が異なることになる。

最大の問題は、墜落から20分後に米軍機が現場を確認し、米軍の救援ヘリが現場での救難活動に入ることができたにもかかわらず、これが実施されず、実際に自衛隊の救援活動が開始されたのが、墜落後12時間も経過した後であったということだ。

生存者である日航CAだった落合由美氏は、

「墜落の直後に、「はあはあ」という荒い息遣いが聞こえました。ひとりではなく、何人もの息遣いです。そこらじゅうから聞こえてきました。まわりの全体からです。「おかあさーん」と呼ぶ男の子の声もしました。」

「救助ヘリコプターが上空で回っているのがわかった。手を振ったが気付いてくれなかった。自分の周りでは数人の子どもたちの声が聞こえたがそのうち聞こえなくなった」と証言している。

墜落直後には多数の乗客が生存していた。救援活動が直ちに実施されていれば、多数の人命が救われていたと考えられる。

現場に飛来した米軍機は強制的に帰還を命じられている。到着した米軍ヘリも帰還させられている。自衛隊機は墜落から2時間後には現場に到着しているが、公式に救援活動が開始されたのは翌朝7時以降である。

報道では、現場の確認が難航したことになっているが、現実には午後9時に自衛隊機が現場に到着しているのである。地上では警察と自衛隊が、誤った場所に救援隊を誘導していた事実も明らかになった。

地上から現地に到着した民間人のなかに、多数の自衛隊員がすでに多数、現地に入っていたと証言している人々がいる。乗客の救援よりも、落下物の収集を優先していたとの疑いも浮上している。

自衛隊による誤射、あるいは、米軍による誤射がジャンボ機墜落の原因であったなら、このような不自然な対応もあり得るのかも知れない。

真相を明らかにする鍵は、直接当事者の証言である。直接当事者が事故=事件が発生した当日および翌日の事実を明らかにすることで、「知られざる真実」が明らかになってくるはずである。

当該ジャンボ機123便に搭乗していた乗客の小川哲氏(当時41歳)が、ジャンボ機に接近する謎の飛行物体に気がつき、それをカメラに収めていた。

この写真をパソコンで拡大するとオレンジ色になる。

画像処理の専門家による写真の検証では、「円錐もしくは円筒のようなものを正面右斜めから見たようなイメージで、この物体はオレンジ帯の方向から飛行機の進行方向に向かっているように見える」との結果を得たという。

羽田を離陸した123便は、大島上空を通過し、18時24分に相模湾上空に差し掛かったときに、大きな衝撃音に見舞われた。

既述の落合由美氏はこのときの模様を次のように証言した。

「そろそろ水平飛行に移るかなというとき、「パ-ン」という、かなり大きい音がしました。テレビ・ドラマなどでピストルを撃ったときに響くような音です。「バーン」ではなくて、高めの「パーン」です。急減圧がなくても、耳を押さえたくなるような、すごく響く音。前ぶれのような異常は、まったく何も感じませんでした。」

「「パーン」という音と同時に、白い霧のようなものが出ました。かなり濃くて、前の方が、うっすらとしか見えないほどです。」

「その霧のようなものは、数秒で消えました。酸素マスクをして、ぱっと見たときには、もうありませんでした。白い霧が流れるような空気の流れは感じませんでした。すっと消えた、という感じだったのです。」

そして、コックピットでは、衝撃音発生直後に「スコーク77」が宣言され、「オレンジエア」の声が発せられた。(フジテレビ「ザ・ノンフィクション」https://www.youtube.com/watch?v=7poQ8oyuBQM 22分35秒以降の部分「スコーク77」および「オレンジエア」の発声を確認)発声は、番組が主張する「ボディギア」ではなく「オレンジエア」である。

「スコーク77」は、元日航機関士の指摘によると、緊急事態発生を知らせる信号で、管制も把握するという。自衛隊機の管理下に入るものではないとのことだ。この点は訂正させていただく。

いずれにせよ、オレンジの飛行物体を確認し、大きな衝撃音があり、スコーク77が宣言されたということになる。

何らかの飛翔体がジャンボ機に衝突し、この衝撃でジャンボ機が尾翼と操縦能力を失ったと見るのが妥当であろう。機体内部の圧力隔壁損傷による事故との説明はまったく説得力を持たない。

日米政府が絡むアンタッチャブルな事故=事件である可能性が高く、真相解明のハードルは高いが、私たちはこの「黒い霧」の中に隠れている「真実」を発掘しなければならない。






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[ 2017/08/16 00:26 ] 未分類・ニュース等 | TB(0) | CM(4)

こんばんは。

たしかにオレンジエアと僕も聞こえますね。
[ 2017/08/16 19:31 ] [ 編集 ]

Re: タイトルなし

鳴らない携帯さん、こんにちは^^

やはりオレンジエアと言ってますね~
うちの弟にも聞いてもらったのですが、
やはりオレンジエアに聞こえると言ってました
[ 2017/08/17 08:19 ] [ 編集 ]

間違いなく オレンジエア ですね。

オールエンジンなんて、無理やり過ぎのトンデモナイ偽装誘導ですねw。
[ 2017/08/20 01:56 ] [ 編集 ]

Re: タイトルなし

改名さん、こんばんは^^

どうあがいても『オレンジエア』ですね~^^;
ちょっと強引過ぎる誘導ですねw 逆に怪しまれるレベルです。

当時の番組でこれですから・・
今だったら、絶対に報道すらされないでしょうね~
[ 2017/08/21 19:40 ] [ 編集 ]

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